「まさか……!」

 リンディが執務室の中で驚愕の声を上げる。

『まあ、あくまで噂の段階よ』

 そして彼女が相対する通信モニターの中に映るレティが難しい顔をしている。

「でも……相手はまだ子どもよ!? それなのに……!」
『障害はすばやく取り除く……。戦いの基本よ?』

 声を荒げるリンディに対し、冷静かつ冷徹に対応するレティ。
 そんな彼女の様子にリンディは、その噂とやらの信憑性の高さを嗅ぎ取った。

「……その、噂。いつ頃から流れ出したものなの?」
『今朝よ。最悪、もうクラナガン入りしてるわね』

 レティの言葉にリンディは爪を噛む。
 さあ、どうする?

「なのはさんに護衛……は無理よね」
『あくまで私の持つ情報は噂……。裏付けの取れるものではないわ。それで無くとも相手は、尻尾をつかませるような愚を犯したりはしないでしょう』
「ええ、わかってるわ……」

 しばらくレティと二人で噂への対策を講じるが、結局誰かが必ずなのはのそばにいるという、問題の解決には絶対的に遠い対策しか思いつかなかった。

『それじゃあ、リンディ。私は仕事があるから』
「ええ、レティ。教えてくれて、ありがとう」

 プツンと切れる通信モニター。
 リンディは画面が完全に消えるのを待って、両手を祈るように組んだ。

「ああ……。出来れば本当に噂で終わって欲しいわ……」

 友人がもたらした、たった一つの噂。

「なのはさんに、暗殺者が差し向けられてるなんて……」

 ありえない、と断じるにはあまりにも。
 あの少女は優秀すぎた。





「ぐぇっ!?」

 時空管理局本局、中央病院。
 白亜の病棟の死角、薄暗い建物の裏で白衣の男がうめき声を上げた。

「安心してくれ。お前に恨みも無ければ、用もない」

 そして白衣の男を、足一本で押さえ込んでいる背の高い男は、手首から一本の糸を引っ張り出した。

「速やかに、この場からいなくなってくれれば、それでいい」
「―――!?」

 白衣の男の声なき悲鳴があがった。









冷えた溶鉄










 なのはが目を覚ましてから、そろそろ一週間。
 そして、士郎と美由希が仲違いしてからもまた、同じ時間が過ぎた。
 あれ以来、士郎はなのはの病室に顔を出すことがなくなった。
 美由希などは「来てくれないほうが、せいせいする」などと言っているが、なのははそうはいかなかった。

「なのは、具合はどう?」
「へいき……」

 仕事を終えて、フェイトと入れ替わりにやってきたユーノが問いかけるが、なのはは気のない返事を返すばかりだ。
 場所は病院の外、中庭のような場所だ。
 木陰が多く、綺麗な花もたくさん咲いているため、入院患者たちにとっては憩いの場所でもある。
 今は昼も過ぎ、夕方にもやや遠い時間である為、人の姿はほとんど無いが。

「………」
「なのは……」

 シャマルからの許可を得て車椅子を借りてきたというのに、なのはは心ここにあらずといった風情だ。
 やはり、この間の士郎の説教が効いているのだろう。

「………」

 とはいえ、ユーノから何か言おうにも、なのは自身がどう思っているのかイマイチ不透明である為なにを言っていいかわからない。
 なのはは士郎に嫌われてしまった、と言っていた。
 ただ、泣き終わったあとはずっと気が抜けたように過ごしているのだ。
 普段のなのはなら、誰かに嫌われたとすればどうして嫌われたのか考え、その原因からもう一度相手と接する為の接点を見出そうとする。
 ならば何がしかを考えているような様子があってもいいのだが、まるでそんな様子が無いのだ。
 不気味といえば、不気味だ。

「おーい!」
「あ、美由希さん」

 どうしたものかと悩んでいると、どうやら学校が終わったらしい美由希と恭也がやってきた。
 ここのところ二人は、学校が終われば真っ先にこちらへとやってきてくれるらしい。
 桃子は、いつまでも店を空けるわけには行かないということで、三日に一度くらいの頻度でこちらに現れる。
 士郎は……美由希が接触しようとせず話題に上がるのも嫌う為イマイチよくわからないままだ。

「なーのーはー! 元気してた?」
「おいおい、怪我人に元気かどうか聞くのは野暮だろう」

 ニコニコと笑顔を見せる美由希の言葉を、恭也が諌める。
 だが、最愛の姉の言葉にもなのはは反応しない。

「………」
「………なのは」

 そんな妹の様子に、美由希は悲しそうな顔になる。
 ユーノはなのはの車椅子のハンドルを放し、恭也へと近づいていった。

「あの、恭也さん」
「………なんだ、ユーノ」
「いえ、士郎さんは……」
「ちょっとユーノ! あんな奴のこと聞くの止めてよ!」

 ユーノが士郎の居所を聞こうとした途端、美由希が柳眉を逆立てて怒鳴り声を上げる。

「いや、でも………」
「なのはの気持ちも考えないような奴だよ!? 今だって、家にほとんど帰ってこないし!」
「………そうなんですか?」

 美由希の言葉に目を丸くするユーノ。
 恭也は少しだけ迷うようなそぶりを見せてから、小さく頷いた。

「ああ………。どうもリンディさんに、こちらへの滞在許可をもらったらしくてな」
「そうですか………」

 てっきり家に戻っているものだと思ったのだが。

「なのは、いこ!」

 美由希はフンと鼻を鳴らして、なのはの車椅子のハンドルを握って向こうの木陰へといってしまう。

「あ、美由希さん! あまり無茶はしないでくださいよ!?」

 ユーノが慌てて声をかけるが、美由希からの返事は無かった。

「大丈夫かなぁ……」
「………」

 ユーノは不安そうな声を上げるが、まああまり無体なことはしまい。
 そしてその場には、恭也とユーノの二人だけが残された。

「………ユーノ」
「あ、はい」

 恭也が、不意にユーノのほうを向いた。

「こんなことを聞くのもどうかと思うが……父さんはあの日、なぜあんなことをいったと思う?」
「え、何故って………」
「美由希の言うとおり、父さんがあの日あの瞬間にあれだけのことを言うだけの理由が、俺には思い当たらないんだ。そりゃあ、無理を下なのはにも非はある。だが、説教はなのはが完治するか、せめて退院するまで待ってもいいと思うんだ。傷を治さなければならない、大事な時期に、なのはをあれだけへこませては治るものも治らないじゃないか」

 恭也は腑に落ちない、といった様子でユーノに問いかける。
 確かに、なのはが目覚めたばかりのあの段階での説教は周囲の反感もさることながら、本人への影響が大きすぎる。
 病気や怪我の治療といったものは、本人の精神力がかなり大きく影響する。
 だからこそ、説教があの瞬間であるということに恭也は納得できないのだろう。

「もし、自分の意見を聞いてもらうだけなら、なのはの退院まで顔を一切出さない、という選択肢もあったと思うんだが………」

 恭也の言葉に、ユーノはしばし考える。
 彼の言うことは、なのはの友人として考えるならもっともだ。
 あんな、恐怖体験から目覚めたばかりのなのはにはきつすぎる。
 ただ、自分の心情を考慮しない、完全な第三者からしてみるとあのタイミングしかなかったようにも思える。

「……いえ、確かに単純なお説教ならそれでもいいと思います。でも、管理局の関わったミスで、それがなのは本人の落ち度だとするなら、あのタイミングでないといけないと思います」
「………何故だ?」
「なのはが退院すれば、すぐにでも管理局の仕事がやって来るからです」

 ユーノの言葉に恭也は一瞬怪訝そうな顔をして、それから首を振った。

「管理局はそこまで忙しい組織なのか?」
「いいえ。ですが、なのはの入院中に溜まってしまった書類仕事の類は、なのはの性格上そのままにしておくとも思えません。そして、仕事が始まってしまえば、士郎さんのあの時の言葉は届かなくなると思います」
「そう、だろうか」
「はい。だって………」

 ユーノは少しだけ溜めて、恭也に思い出させる。

「なのはにとって、普段の無茶は日常ですから」
「………!」
「日常に戻ってしまえば、その日常を治させるための言葉は届かなくなります」

 高町なのはにとっての日常。
 それを否定する為の士郎の言葉は、その日常に入ってからでは届かないのだ。
 日常という防備を敷かれる前に、弱りきった所を叩くしかなかったのだろう、親としては。

「………そうか」
「少なくとも、僕はそう思うというだけですけどね」

 胸のつかえが取れた、という表情の恭也。
 だが、ユーノの顔から疑問が晴れることは無かった。

(でも、そうならどうして士郎さんは今なのはの前にいないんだろう)

 士郎がやったことは、失敗の傷の痛みが残っているうちになのはの悪癖を矯正しようとしたということだろう。
 だからこそ解せない。
 今この瞬間に、フォローの為に現れない彼に。

(士郎さん……あなたは今どこにいるんですか?)

 ユーノは今ここにいない彼に問いかけるが、答えは返ってこなかった。





「まったく、ユーノもどうしてあんなのを気にするんだろ……!」

 憤慨した様子の美由希と、ほうけたようななのは。
 そんな彼らの前に、医者らしき男が現れた。
 なかなか上背がある。美由希もそこそこ背が高いほうだが、それでも見上げる形になってしまうくらいだ。

「やあ、こんにちは」
「あ、こんにちは」

 朗らかに挨拶をしてくれる彼に、美由希は頭を下げることで応じた。

「この病院のお医者様ですか?」
「ああ、そうだよ。君は、その子のお姉さんかな」
「はい、そうです」

 美由希は笑顔で頷くと、車椅子の前に回ってなのはの顔を覗き込む。

「なのはー。お医者さんだよー」

 頬をぺちぺち叩きながら声をかけるが、返事は無かった。

「なのは………」
「ああ、気にしなくていいよ」

 咎めるように眉根を寄せる美由希に、医者を名乗った男は鷹揚に手を振った。

「ああ、すいません」
「なに、別にいいさ」

 男は笑顔のまま、美由希の首筋に手刀を打ち込んだ。
 身体から力が抜け、美由希はカクンと膝を突いてしまう。

「―――え?」
「無駄に騒がれるよりマシだ。仕事がスムーズにいく」

 手首の袖から閃くのは、白銀のナイフ。

「手早く済ませよう。痛みも無く、死ぬといい。管理局の白い悪魔」

 軽く振り上げられるナイフにも、なのはは反応しない。

「なの……はっ!」

 美由希は何とか身体に活を入れ、なのはの車椅子を蹴り飛ばす。
 勢いよく後退した車椅子は、振り下ろされたナイフを済んでのとこで回避した。

「むっ」
「きょうちゃぁぁぁぁぁん!!!!」

 すかさず上げる大声。さほど距離は離れていない。これで聞こえるはずだ。

「あまり手間をかけさせないでくれ。標的さえ死ねば、君に用事はないんだ」
「妹を……! むざむざ殺させてたまるもんですか!」

 美由希は一気に立ち上がり、両手をボクサーのように構える。
 男はやれやれと首を振り、空いているほうの手から投擲用らしきナイフを取り出した。

「いくよっ!」

 美由希は拳を構えたまま、男へと突進していく。

(ナイフが投げられるより先に、相手を組み倒す! 意識を飛び道具に集中して―――)

 美由希は振り上げられた、男の投げナイフに意識を集中する。

「そこで寝ていたまえ」

 だが、投げナイフが放たれることは無く、脇腹を灼熱の感覚が走る。

「―――え」
「驚いてばかりだね。わかりやすく取り出されたナイフに集中しすぎだよ」

 冷ややかな男の声がどこか遠くなり、美由希はそのままの勢いで地面に倒れる。

「美由希!?」
「美由希さん!」

 それを目撃した恭也とユーノ。
 恭也はすばやく男のほうへと向かっていき、ユーノはなのはを背にする形で男に立ちふさがった。

「このナイフは君に上げよう」

 そこで男はようやく、投げナイフを恭也に向けて放った。
 ナイフは恭也の頬を裂くにとどまり、恭也は傷にかまわず男に突撃する。

「ぐっ………!?」

 だが、突然恭也の身体がぐらりと傾いでそのまま倒れこんでしまう。

「弛緩毒だよ。十分もしたら解ける、弱い奴だが人を殺すには充分な時間だと思わないかい」
「ぐ……く、そ………!」

 悔しそうにうめく恭也のそばを抜け、焦ったようなユーノの前に対峙する男。

「どきたまえ、少年」
「くそ……なんで!?」
「念話なら諦めたまえ。脆弱ではあるものの、ジャマーを仕掛けさせてもらった」

 男の言葉に、ユーノは弾かれたようにその顔を見上げる。

「ジャマー、だって?」
「信じられないという顔だな。そう難しくない。基本は電波交信と一緒だからな。似たような方法で防ぐことが出来るのさ」

 男はユーノの疑問に答えてやりながら、手に持ったままのナイフを振り上げる。
 ユーノはすばやく印を組み、スフィアプロテクションを起動した。
 だが、ナイフはあっさりユーノの防御を切り裂いて彼の肩に突き刺さった。

「ぐっ!?」
「便利だろう? 防御や結界の術式構成に干渉するナイフだ。それ以外の魔法には脆弱だが」

 男はユーノの身体を横殴りに蹴飛ばす。

「ぐあっ!?」
「ユー、ノ………!」

 ゴロゴロと転がっていくユーノ。
 恭也が声を上げるが、しばらく転がってそのまま動かなくなってしまった。

「さて、では仕事をしますか」
「ぐ……ま、て! どう、して……なのは、をねら…う!」

 恭也は何とかろれつの回らない舌を動かして、男に声をかける。
 何とか時間を稼いで、打開策を見つけなければ。

「ん? 何故、か?」

 男は割りとあっさり恭也の質問に答える。
 なのはを殺して逃走するだけの自信がある、ということだろうか。

「簡単な話だ。このお嬢さんのような有望株は、今のうちに潰してしまうに限る。年間何百人と、こういった有望株が“事故死”として闇に葬られてるんだ」
「なん……だと………!?」
「依頼主は千差万別だがね。人間とは醜いものだ」

 つまらなさそうにつぶやき、男はゆっくりとナイフを振り上げた。

「では君、眼は閉じておいたほうが。少なくとも、見ていて気持ちのいいものではないからな」
「ま………!」

 かろうじて伸ばされる手は遠く。
 ただ凶刃が振り下ろされるのを見ているしかない恭也。

「そこまでにしてもらおうか」
「―――おや?」

 救いの手が差し伸べられたのは、まさにその瞬間だった。










―あとがき―
 えーっと、どのくらいぶり? うあ、半月くらいか。結構前になってしまいましたな。
 というわけで「翼が折れたら」の続編、「冷えた溶鉄」ですー。
 今回は、とりあえず前振り? 士郎さん最強伝説の。
 おかげで一話丸々使ってしまた。決着は次回! だといいなぁ。
 いつにも増して無茶苦茶な話になっておりますが、そこは御愛嬌。俺だったら絶対放っておかねぇ、こんな砲撃娘。
 ではでは次回ー。




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