後に、闇の書事件といわれるようになる、ロストロギアの暴走による大異変。
 その解決に一役買った一人の少女は、それから程なくして自らの指針を定める。
 新しく得ることのできたこの魔法を、もっと多くの人のために。
 ようやく得ることのできた、自分の為したいこと。
 その言葉に、少女の家族は沸き立った。
 自分達の知らない世界の存在はもちろん、何より自分達の家族が進むべき道を定めたのだ。笑顔で祝福するのは当然だった。

「俺は反対だ」

 ただ一人。一家の大黒柱たる男だけが、少女の決意に水を差す。










親の義務、親の務め










「え……?」

 皆が賛成してくれる中響いた冷たい言葉に、なのはの顔がこわばる。
 それだけでなく、恭也は声のした方に顔を向け、美由紀は信じられないというような顔つきになる。
 桃子は夫の言葉に、特に反応を見せなかった。

「お、お父さん……?」

 少し温くなったお茶を啜る父の顔色を窺うように、なのはは怯えた声を上げる。

「その時空管理局とやらは、大きな組織なんだろう? ならわざわざなのはが努める必要はないだろう」

 それに対する士郎の言葉は、相変わらず冷たかった。

「お父さん、せっかくなのはが自分のやりたいこと見つけたのに、そんなのあんまりじゃない」
「たった九歳の子どもがか? 一生を決めるには早すぎる」

 長姉の言葉にも耳を貸さない士郎。その瞳に宿るのは不退転の輝きだった。
 すなわち、どうあってもなのはの管理局入りを許すつもりはない、と。

「リンディさん」
「……はい」

 一家のやり取りをじっと見つめていたリンディに、士郎の矛先が向く。

「あなたはこういいましたな? 今の管理局は慢性的な人不足だと」
「はい」
「そしてなのはのような、才能豊かな子どもを採用せねばならないと」
「ええ、確かにその通りです。今の管理局は―――」
「ならば、必要なのは採用のある子どもではなく、管理局全体の戦力増加でしょう。あなたが言っていることは、古い車が走らなくなったから良いタイヤに代えようということですよ」

 何かを言いかけるリンディを遮ってそう断ずる士郎。
 その言葉にカチンと来たのか、リンディは眉根を跳ね上げる。

「どういう意味でしょう?」
「根本的な解決になっていないということです。管理局が人手不足で悩んでいると仰るのなら、もっと大局の視点で解決に望むべきだ」
「ですが士郎さん。なのはの才能は、もっと多くの人を救うことだって出来ます」
「その役割を、もっと多くの大人に課すべきだといってるんだ、クロノくん。なのは一人が背負うには、人の命はあまりにも重い」

 クロノの言葉も聞きいれようとしない士郎。
 話が長くなるだろうと考えたのか、桃子が立ち上がった。おそらくお茶のお代わりを持ってくるつもりだろう。

「ですが士郎さん。なのはさんが管理局に入ることで、もっと多くの人の、輝ける未来が救われるのです。それは、素晴らしいことだと思いませんか?」

 真剣な眼差しでリンディは士郎に問いかける。
 心の底からそう思っているのだろう。その瞳は一転の曇りもない。
 対する士郎も、瞳の輝きを曇らせることなくリンディを睨みつける。

「なるほど。確かに素晴らしいことだ。
 ………ならば問いましょう。その多くの未来を救うなのはの未来。これは、一体誰が保障してくれるのですか?」

 その言葉に、リンディが一瞬息を詰まらせる。

「………それは、わかりません。ですが、確実に救える未来を見捨てるわけには」
「その責を追うのがあなたがた管理局ではないのですか?」
「ですから、管理局は人手不足で」
「だから、全体の戦力増加を何故考えないのかと問うているのです」
「その戦力増加のためになのはさんの才能を」
「なのはがいなくても、どうにかしなければならないのがあなたがたでしょう」

 だんだんと、堂々巡りの呈を示し始める口論。
 しばしの沈黙の後、リンディがゆっくりと口を開く。

「………お子さんの才能が、真に開花するさまをみたくはありませんか?」
「ありませんね。それが戦うための才能となれば特に」

 はっきりと言い切る士郎。
 だがリンディの言葉は止まらない。

「ですが士郎さん。なのはさんの才能は、実に稀有なものです。この才能さえあれば、この先多くの人命を救えるだけでなく、彼女自身の助けにもなるでしょう。我々の世界の魔法とは、まさにそういうものなのです」
「そしてその代償に、なのはは自分の幸せを失うわけですか」
「そうではありません。なのはさんは、自分自身の幸せも同時に手に入れられるんです」
「戦いの中に見出す幸せですか?」
「人々を救う中で見出す幸せです」

 議論は延々平行線を辿る。

「確かに武装隊は戦いが常時付きまとうものです。ですが、我々はなのはさんの時間全てを拘束するつもりはありません。有事の際にだけ、彼女のお力を貸していただければいいのです」
「その有事が問題なんだ。あなたがたは、おそらく軍属でしょう。ならば関わる全てが有事だ。この子の空き時間の全てを、勤めに当てるつもりであってもおかしくはない」
「ありえません。充分な休息の時間は、差し上げるつもりです」
「その休息の時間、こちらで何を過ごしたとしても消耗するものでしょう。例え勉学の時間だけであっても」
「そうならないように、私も全力を尽くしましょう」
「個人の意思が活き辛いというのが組織というものだ。そもそも、あなたの部下にはならないでしょう? なのはは」
「誤解を先にとかねばならないようですが、そもそも我々は全ての事態を武力で解決するような野蛮な組織ではありません。なのはさんに関わっていただくのは、本当に最後の手段なんです」
「なら今でなくとも十分だ。六年後にまたお誘いに来てください」
「その六年が重要なのです。学ぶ時間は、多ければ多いほどいいのです」
「多感な年頃を戦闘訓練に明け暮れろなど、どこの軍事国家ですか」

 再び舞い降りる沈黙。

「………リンディさん」

 今度口を開いたのは、士郎だった。

「何故私がここまで強行に反対するのか、お分かりになりますか?」
「………わからなくも、ないです」

 リンディは迷いながらも、小さく頷いた。

「ですが、ならばこそ。今、なのはさんの才能を、もっともっと伸ばすべきなんです」
「到底、受け入れられませんな。この子の人生を、錆色に染め上げるわけにはいかない」

 睨みあう士郎とリンディ。まるで一瞬即発の状況だ。

「士郎さん……何故です? 何故そこまで………」

 二人の間にあったやり取りを理解できなかったのか、クロノが疑問を挟み込む。
 士郎は、そんな彼に視線をやってゆっくりとその問いに答えた。

「親だからだ」
「え?」
「親だからこそ、子どもが戦いの場に駆り立てられようとしているのを黙ってみていられないんだ」
「親、だから……?」

 士郎は再びリンディに向き直る。

「そもそも、なのはは本当に自分の意思で管理局入りを決めたのですか?」
「はい。その確認は、何度もしました」
「では、それが周囲の状況に流された、というわけではないというわけですか?」
「………どういう意味でしょう?」
「なのはが新しく友達になった少女、フェイトちゃん。そして今回起こったらしい事件の首謀者と目される、はやてちゃん。
 この二人に比べると、なのはは管理局に関わる動機が薄い。二人が入るから、自分も入るんだと、そんな軽い考えではないのかと聞いているのです」
「待ってください士郎さん! あなたは、多くの人を救いたいというなのはの気持ちを軽いと考えるんですか!?」
「少なくともたった九年しか生きていない子どもに背負わせられるほど、世界は軽くないと認識しているだけだ」

 激昂仕掛けるクロノに反論する士郎。
 それに続いたのはリンディだ。

「人の意思に、重いも軽いもないと思いますが」
「でしょうな。ですが、たった九歳の子どもが叫ぶ世界の正義ほど軽いものはありません。
 何が悲しくて、世間知らずの子どもがイデオロギーを主張しなければならないのですか」
「どんな意見にも、正当な意味があると私は考えます。なのはさんが、多くの人を救うために自分の魔法を役立てたいと思うその気持ちは、評価するべきではありませんか?」
「ならば魔法を役立てるのは、局でなくともよろしいでしょう。わざわざ管理局に勤めなくとも、魔法を覚える場所くらいあるでしょう?」
「名実共に、管理局がミッドチルダの最高学府であると、我々は自負しております」
「最先端は我にありということですな。確かに、優れた技術は戦いと共にある。日本の刀や核兵器などがいい例だ。
 だが、優れた技術が、素晴らしい学問というわけではありますまい」
「………士郎さん。どうしてもですか?」

 リンディが声音を変えずに問いかける。
 その質問に、士郎も同じ調子で答える。

「どうしても、だ。一生に一度しかない人生。それをこんな短い間で決めさせるわけには」
「いい加減にして、お父さん!」

 士郎に横槍を入れたのは、美由紀。
 その瞳は紅蓮もかくやという嚇怒に包まれていた。

「何をそんなにこだわってるの!? せっかくなのはが自分で決めた道なのに、どうして笑顔で祝福して上げられないの!? 今のお父さん、娘が気に入らない婿に嫁ぐ、頑固親父そのものじゃない!」

 美由紀は怒りながら、なのはを宥めるように撫でる。
 撫でられているなのはは………。

「う、ひぐっ、うぇ………」

 大粒の涙を大量に流していた。
 きっと賛成してくれる。そう思っていたのだろう。
 なのに、士郎はことごとくを否定し、あまつさえ自分の決意さえ否定した。
 それが、悲しかったのだろう。何しろ九歳の子どもだ。涙を止めるすべを、知るはずも無い。

「………」

 同じくこちらを睨みつける恭也、クロノ。静かにこっちを見据えるリンディ。そして、なき続けるなのはを順に見つめ、士郎はため息をついた。

「………ともかく、俺はなのはの管理局入りは反対だ」

 それだけ言って、士郎は立ち上がった。

「お父さん!」

 桃子と入れ違いに部屋を出て行く士郎の背中に、美由紀が怒声を浴びせる。
 だが、彼はもう答えることはなかった。

「呆れた……! お父さんがあんな頑固親父だったなんて!
 なのは、気にすることないよ。管理局、がんばりな。ね?」
「そうだな。父さんには、俺たちが言っておく」
「………ひぐ……うん………」

 涙声で、美由紀と恭也の言葉に頷くなのは。
 そんな彼女に、桃子がそっとミルクキャラメルを差し出した。

「はい、なのは。飲んで落ち着きなさい」
「………うん」
「それから、恭也に美由紀。別にお父さんは、意地悪であんなこと言ったんじゃないのよ?」
「でも、あんなの難癖もいいところじゃない! 重箱の隅をつつくみたいにさ!」
「確かに、ちょっとしつこかったよな」

 父への不満を隠そうともしない子ども達を見て、そして桃子はリンディへと向き直った。

「リンディさん」
「はい、なんでしょう」
「今日のこのこと、決して忘れないでください。あの人がここであなたと交わした言葉を、決して無駄にしないように………」
「………はい」

 桃子の言葉を、神妙に受け止めるリンディ。
 そんな中、一匹のフェレットが部屋を出て行った。

(ユーノ?)

 そんな彼の動向を把握しながら、クロノは口には出さない。
 どうせトイレかなにかだろう、とそう考えたから。





「士郎さん」

 自らを呼ぶ声に振り返る士郎。
 そこには誰もおらず、一匹のフェレットがいるばかりだった。

「………そうか。お前も魔法の関係者だったか」

 だが、士郎は驚くことなくフェレットのユーノを見下ろした。

「気が付いて、いたんですか?」
「気が付いたのは、今だよ。よく考えれば、海鳴市の怪事件が起こり始めた頃に、お前……いや、君か。君がやってきたんだからな」

 苦笑する士郎の前で、ユーノは変身をといた。
 線の細い金髪の少年の姿に、士郎は目を細めた。

「便利なものだな、魔法というのは」
「はい、本当に」

 ユーノはうっすらと微笑んで、そして士郎に向かって深々と頭を下げた。

「本当に、すいませんでした」
「………何故君が謝る?」
「僕がここに来なければ、なのはは一生を平穏に終えたはずだったのに………」
「かもしれない。だが、そもそも君は向こうの世界の住人だろう?」
「正確には、違います。それに………」

 ユーノは頭を上げて、真っ直ぐに士郎を見つめた。

「士郎さんの言うことは、きっと間違ってないから」
「………」
「だから、原因となった僕に謝らせてください」

 そんな少年の言葉に、士郎はため息をついた。

「やれやれ。ミッドチルダの子どもは皆こんなに精神年齢が高いのかね?」
「あ、僕は多分特殊なほうかと………」

 照れたようにユーノが頭を掻き、そして真剣な表情になる。

「でも士郎さん。どうしてあの場を辞したんですか?」
「あのまま議論を続けても平行線………。その上、あの子の兄妹は二人とも局入りに賛成していた。どれだけ私が強権を発動しても、あの子の局入りは変わらないだろう」

 おそらく、すでに決定されてしまったことだ。向こうのほうも内定が決まっているのかもしれない。ひょっとしたら、魔法との関わり全てを盾にされてしまうかもしれない。友人達との関係すら全て。

「だったら、いいたいことをすべて言って、それで充分―――とは言えないが、少なくともやりたいことはやれた」
「………」
「そして、もう一手だ。君が正体を現してくれたことで、ずいぶんとやりやすくなったな」

 士郎は笑って、ユーノを真っ直ぐに見つめた。
 先ほどの議論ような厳しい眼差しでなく、柔和で穏やかな眼差し。

「ユーノ君」
「はい」
「………おそらく、あの子は遠からず翼を失うこととなる。己の無知と課した信念のせいで。そうなった時、あの子を支えてもらっていいだろうか?」
「………どうして、そんなことを?」

 ユーノが疑問の声を上げる。
 当然だ。まるで預言者のように士郎は言い切るが、そんなことは起こり得ないかもしれない。
 そのことは承知しているのか、士郎は笑ってみせた。

「なに。最悪にはいつも備えるべきさ。
 ………それに」

 士郎の脳裏に蘇るのは、かつて自らの身を襲った事故。
 己から戦うすべを奪った、忌まわしき過去。

「それに?」
「………いや、なんでもない」

 士郎は首を振り、ユーノの肩に手を置いた。

「ともかく頼むよ。あの子に近しい位置にいられそうなのは、君と友人達くらいだろうからね」
「はい、わかりました」

 士郎の言葉に頷くユーノ。
 その言葉に満足したのか、士郎は自分の部屋へと戻り始める。
 遠ざかる士郎の背中を見つめ、一礼した後。ユーノはフェレットへと戻り居間へと帰っていった。





 結果として、高町なのはは無事に管理局入りすることとなる。
 士郎が反対していたという事実は、一家にとっても彼女自身にとっても大きなしこりとなってしまったが、時の流れが全てを風化してくれた。
 そして、高町なのはが十二歳の時。
 彼女はその翼をなくし、大地に伏すこととなる。士郎の予想通りに。










―あとがき―
 というわけで、士郎さんがなのはの管理局入りに反対する話でした。
 っていうか、本編じゃ普通に入局してますけど、本当に抵抗無かったんですかね?
 誰か一人位反対してもいいんじゃね? 何で快く送り出してんのさ、異世界にって感じですな、今考えると。
 まあ、その思いをこれにぶつけたんですけどね。
 それを表現しきれたかは大分謎です。難しいわ、こういう問題……。




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