「―――それじゃあ、もういいですよ。今日で診察はおしまいです」
「はい! 今までありがとうございました!」
「お大事にね」

 聖王療院の一室から、ニコニコと嬉しそうなウルドが出てくる。
 その様子を見て、待合室で待っていたレオナが立ち上がって彼に近づく。

「どうだった?」
「おう! バッチリ今日までだってさ。これで通院生活からもおさらばー」
「そ」

 ヘラリと笑うウルドの様子に、レオナはそっけなく言いつつも、嬉しそうに微笑んだ。
 覇王事変から、もうそろそろ一ヶ月か。
 ベルカ自治領は、スクライア一族の尽力もあり、もう元のような活気を取り戻していた。
 道行く人々は、かつての傷跡に顔をしかめることもなく、もう笑えるようになった。
 奇跡的に死者もなかったため、悲しみの傷を負うものもいなかったのもあるだろう。
 だが、傷を負ってしまったものはいる。ウルドや、レオナがその一人だ。
 背中に傷を負ったレオナの治療は、滞りなく進んだが、ウルドは幅広の長剣で胸板を貫かれていた。場合によっては即死してもおかしくない傷だったのだ。
 その傷を、防御系統の魔法に特化していたウルドは、シールドで塞ぐという荒業によって、その場はなんとかしたのだ。
 ただ、そのツケは後の治療に響いた。傷を塞いだシールドは、舞い散る埃の雑菌までは何とかしてくれなかったのだ。
 おかげで感染症まで発症して、完治に一ヶ月もかかってしまった。

「でも、それも今日まで。明日から通常業務だなー」

 療院の廊下を歩きながら、後ろ頭に腕を組むウルド。
 その顔は、傷が治ったことと明日から仕事に復帰できることとの両方の意味で、晴れ晴れと輝いている。
 だが、そんな彼の後ろを歩くレオナの顔は、どことなく暗い。

「? どっかした? レオナ」
「え、へ?」
「いや、いつもとなんか様子違うし」

 急にウルドに声を掛けられてうろたえるレオナ。
 そもそもそんなことを言われるなんて、予想だにしていなかった。
 普通の人間にはわからない程度には、元気に振舞っているつもりだったのだ。
 ……ただ、いつもと様子が違うのは否定しようのない事実なのだが。

「………ん、ちょっとね。自信なくなっちゃって」
「自信?」
「うん……」

 うつむくレオナ。少しだけ気落ちした気配が、ウルドにも伝わってくる。

「……今年になってから、訓練校も卒業して、聖王教会騎士団に入団して……。ずっと夢だったからさ。すごく、嬉しかった」
「ああ、うん。覚えてるよ」

 ウルドは笑って、その時のことを思い出す。
 無事に入団できたと知った時のレオナの様子は、まさに舞い上がっているという表現がぴったりだった。

「それでそこからも訓練重ねて……それでラヴィやソウマに会って。すごく楽しかった。
 不謹慎な言い方かもしれないけど、任務をこなすことが楽しかったんだ」

 レオナが、視線を廊下の窓の外に向ける。

「でも、さ。やっぱりそれは間違ってるんだって、この間の事件で思い知らされちゃった」
「………」
「みんないっぱい傷ついて……私も、あんたも大怪我負って……あげく、ソウマは咎人指定されちゃうしさ。なんか散々だったよね」
「………まーなー」
「そしたらさ……なんか、一気に冷めちゃってさ。騎士団で、いろんな人を救いたい、って夢が。………自分の身を守るのもおぼつかないのに、人をどうやって助けるんだろう、って」

 自嘲気味に微笑む、レオナ。

「なんていうか……騎士団にい続ける理由が、見えなくなってきたっていうか……まあ、そんな感じ」

 おそらくレオナは、先の事変で怪我を負ってしまったことや、多くの怪我人が出てしまったことを受けて、自信喪失しているのだろう。自分はあの時何をやっていたのだろう、と。
 その気持ちは、わかる。ウルドも、少なからず抱いていた思いだ。

「……でも、そんだけであきらめんの? 夢だったじゃんか」

 それでも、ここで諦めていては、なにも務まるまい。ちょっとした挫折は、小石のようなものだ。
 注意して歩けば、つまずくことはない。

「そんだけ、って言うけどさ………」

 だが、レオナは弱々しく首を横に振る。なにやらずいぶん気落ちしている。
 この一ヶ月、蘇馬もウルドも抜きで、ラヴィエッタと二人きりで任務をこなしていたことも関係しているかもしれない。

「………んー」

 唸るウルド。
 仕方ない。少し恥ずかしいが、このまま自信喪失して騎士団を辞めるなどといわれるよりはましだろう。

「レオナー」
「なに………っ!?」

 一度声をかけてから、ウルドはレオナを正面から抱きすくめる。
 レオナはビクッ!と体を震わせて、そのまま暴れ始める。

「ちょ、いきなりなにすんのよ!」
「俺さ、レオナがいたから騎士団に入ったんだぜ?」
「な、なによ急に………」
「それなのにさ。レオナにそんなこと言われると、俺どうしたらいいかわかんないじゃんか?」
「………そんなもの、好きにしたらいいじゃない」
「そうもいかんって。俺はさ……―――」

 ウルドがそっとレオナの耳元で囁く。
 レオナの顔が、まるでトマトのように真っ赤になり、ウルドが照れたように笑った。

「………………………バカ?」
「疑問系なんだ。まあ、バカだよなー。でもさ、ウソじゃないよ?」

 そう言い切るウルドに、レオナはジトッとした眼差しを向けて、それから彼の胸に額を押し付けた。

「………………………ばか」
「そうそう。レオナは断定系じゃないと。今更しおらしくされっと、蕁麻疹が出るし」
「そういうこというわけ? デリカシーないわよ」
「俺に期待しないでくれよー」
「………そうよね。そういう男よね」

 諦めるような声音のレオナに、苦笑するウルド。
 とりあえず、彼女が浮上してくれたようでよかった。
 ほっと一安心するウルドの顔を、レオナがじっと見つめていた。

「? なに?」
「………………………なにじゃないわよ。せっかく、その、そういう感じなのに、なにもなしなわけ?」
「え?」

 ほうけた声を上げるウルドに、怒ったように眉根を上げたレオナの顔がゆっくり迫る。

「…………い、いいでしょ?」
「ちょ、レオナさん?」
「な、なによ。せっかく、いい雰囲気なんだし、別にいいでしょ?」
「いや、そういうのにやぶさかじゃないけど、とりあえず後ろ」
「………?」

 言われて振り返るレオナ。その視線の先にいたのは。

「あ、どうぞそのまま続けてください」

 廊下の切れ端、曲がり角から顔だけ出している八神はやてと、その融合機リインフォースUの姿。

「…………………………………………いつから?」
「ついさっき? だからまあ、ほとんどなにも見てませんから」
「じゃあ、見せるものはなにもないわね」

 そっとそ知らぬ様子でウルドから身体を離すレオナ。
 その顔は、完熟トマトも真っ青なくらい赤く仕上がっていた。

「で、はやてはどうしてここに?」
「いやいや、こんな往来で堂々と抱き合ってるんやから―――あ、私は付き添いできてん。そろそろ蘇馬君の弟さんが退院やから」
「とりあえず、その時間つぶしにフラフラしてたんですよー」

 そしたらすごいもの見てしまいました!そやねーすごいねー、と微笑ましくもニヤニヤと邪な笑みを浮かべる特別捜査官。
 騎士団の新米弓騎士は反撃を試みようと、力一杯言葉の弓を引き絞る。

「でもまあ、あんた達には負けるわよ。だってそうでしょ? ほぼ毎日通い妻、って聞いてるわよ」
「はいー。妻として当然かとー。まあ、顔を赤くしながら抱きしめあうくらいの、初々しい恋人みたいなことしろって家族には言われますけどー」
「くっ!?」

 しかし強烈なカウンター。砲弾が心の城壁を打ち破る。
 このままでは落城してしまう。何とか最後の一線は守りきらねば。

「じゃ、じゃあ、そろそろあれかしら? 一線越えちゃったりするんじゃないの? あなたの歳で子どもが出来ちゃうと、大変よね?」
「私は一向にかわまへんねんけど、蘇馬君が紳士やからなぁー。それよりも、やっぱりファーストキッスとか、初デートとか、そういう恋人イベントをしたほうがええかなぁ。こう、人の見ていない廊下でこっそりとか………」
「ごふゅっ」

 駄目だった。あっさり押し切られた。
 そのまま顔を赤くして煙を噴出しながら黙るレオナの様子を、はやては愉快そうに笑う。
 リインフォースはレオナの顔をぺちぺち叩き、ウルドはそんなレオナの様子に苦笑する。

「………何してるんだ、お前ら」
「あ、蘇馬君」

 そんな若々しいやり取りの最中にやってきたのは、いささかかれ気味の明王寺蘇馬。
 その後ろには、いつものように画板のような本を背負ったラヴィエッタと、そしてもう一人少年が従っていた。

「お………」
「む」

 少年の姿を視界に納めたウルドと、蘇馬の登場に再起動を果たしたレオナが硬直する。
 しかたあるまい。なにしろ、その少年は自分達に重症を負わせた、例の洗脳魔導師だったのだから。

「……そいつが?」
「ああ。紹介が遅れたな。コイツが、俺の弟の―――」
「明王寺翔です。はじめまして」

 蘇馬をそのまま小さくして、ずっと優しい感じにしたイメージの少年はペコリと頭を下げた。
 そんな翔の様子に、ウルドとレオナの二人は、顔を見合わせる。

「? どうした?」
「いや、なんつーか……」
「私達、正確にははじめましてじゃないのよね……」
「えっ?」

 驚く翔よりも先に、蘇馬は顔をこわばらせた。

「お前達が言っていた、洗脳魔導師はひょっとして………」
「そ。ショウくんよ」
「―――!?」

 翔の顔が驚愕に染まる。
 そして不安そうに顔をゆがめて、うつむいて身体を振るわせ始める。

「………あの。僕は………」
「あ、ああ。気にすんなよ。洗脳されてた時のことは、覚えてないんだろ?」
「だったら責めるに責められないわよ」

 怯える翔の様子に、二人は苦笑しながら肩をすくめた。
 話には聞いていたが、本当に記憶がないらしい。都合がいいといえば都合がいいが、被害者から言えばそうもいくまい。
 今回はたまたま、翔が蘇馬の弟で、しかも年端も行かない子どもだったからよかったようなものの、これが一人前の大人だったらそうもいくまい。
 実際、そういった関係でのトラブルもチラホラ聞く。

「じゃあ、まあ。とりあえず、翔君は二人に謝ろか?」
「あ、はい………」

 ただ、これ以上この場をややっこしくする理由もあるまい。

「本当にごめんなさい………」
「うん、許す」
「ええ、いいわよ」

 はやての音頭で頭を下げる翔の頭を、ウルドとレオナは代わる代わる撫でていく。
 翔は触れる手に体を震わせるが、その手が拒絶でないと知ると安心したようの力を抜いた。

「―――それじゃあ、このあとはどうする? 俺達は、ついでだから翔にベルカ自治領の案内をしようかと思っていたんだが」

 ずっと黙っていた蘇馬が、場が収まったタイミングを見て口を開く。

「ベルカ自治領の案内? 何で今?」
「翔は、こちらの人間じゃないからな。滞在ビザが切れる前に、一度異世界のことを教えてやろうと思ってな」
「あ、そっか。そういや、お前管理外世界の人間だったか」

 失念していた、というように掌をたたくウルド。
 そもそも、蘇馬のような管理外世界の人間は、こちらへの移住手続きを済ませない限り、ある程度時間が経ってしまうと強制送還の身の上となる。
 第一級咎人である蘇馬の場合は、もはや自分の出身世界に永住することが許されない身だが、弟の翔はそういうわけにもいかないのだろう。

「僕は、兄さんと一緒にいたいんですけど」
「そういうわけにもいかへんって。少なくとも、中学校を卒業するまではなー」

 不満そうな翔の頭を、今度ははやてがクシクシと撫でる。
 そんな歳相応な翔の反応を見て、ウルドとレオナの二人が小さく噴出した。

「意外……ソウマの弟って聞いてたから、どんな堅物かと思えば………」
「まあ、先入観だよなー。よっしゃ、俺たちも一緒にいくぜ」
「あら、ええのん? これから目くるめく二人っきりの世界が」
「そんなもの存在しない! っていうか、まだひっぱるの!?」

 わいわい騒ぎながら歩き始める一向。
 そんな彼らの後ろから、ゆっくりと付いていくように歩く蘇馬とラヴィエッタ。

「………蘇馬さん」
「ん?」

 そんな光景を見てか、ラヴィエッタが蘇馬の服の裾を小さく握った。

「………どうした?」
「いえ……その………」

 少しだけラヴィエッタがもじもじと身体を揺する。
―――ずっと考えていたことがある。こうなればいいな、というささやかな願望―――

「蘇馬、さん」

―――蘇馬の弟の姿。はやてやレオナたちとのやり取り。それらを見て、その思いがほんの少しだけ膨らんだ―――

「ん?」

―――ほんの少しの、勇気が出るくらいに―――

「私も……家族にしてもらえませんか………?」

 怯えるような、ラヴィエッタの言葉。
 その瞳は、怯えながらもどこか期待するように潤んでいる。

「………」

 蘇馬は少しだけ黙ってから、ポンとラヴィエッタの頭に掌を乗せる。

「……好きにしろ」

 そういって、蘇馬はわずかに微笑んだ。
 よく見ないとわからない、無表情にも見える笑顔。
 だが、彼のそんな表情からは本当の喜びと楽しさが滲み出ていた。
 ラヴィエッタにも、わかるほどに。

「………はい」

 恥ずかしそうに、そして嬉しそうに頷くラヴィエッタ。
 二人は改めて手を繋いで、先にいってしまったみんなの後を追う。
 まるで、ではなく本当に仲のよう兄妹のように。










―あとがき―
 っちゅーわけで、まとめに入りましたー。概ねこんな感じで終結。
 さりげなくリクエストしていただいた、ウルレオを加えている辺り姑息だ、俺。
 これ以降、明王寺家には妹としてラヴィエッタがやってきます。ちなみに住んでいる場所は聖王教会の宿舎のまんま。
 次回からは、まだ名前もないフェイトさん長編……。不安しかわかないねアハハハ。




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