今日も今日とて無限書庫は忙しい。 が、今は特に関係ない。 「ふぅ………」 ユーノは今、一枚の書類を手にとある部署の前に立っていた。 その部署の名は、管理局本局総務課。 管理局全体の運営に関係する事務を引き受ける部署である。 何故ユーノがこんな所にいるかといえば、その原因はアルフだったりする。 「今年は休み取れそうなんだしさ。せっかくだから、有休とって旅行にでもいってきたら? クレア付きで」 のほほん、とアルフが何の気なしに言った言葉に、クレアが異様に食いついたのである。 「旅行!? 行けるのか!? 行くことができるのか、主殿ー!?」 「ちょ、落ち着いてクレアー!?」 つい先月、めでたく無限書庫から外出できるようになったクレアは、休日ともなればひたすら外出することをせがんできた。 よほど外に出られるのが嬉しかったのだろう。 そんな彼女にとって、もっと広く外に出られる旅行というのは、非常に魅力的なことに違いない。 幸い、ミッドチルダはもうすぐ夏だし、旅行にはもってこいだろう。 ただ、イマイチ不安なのが………。 「有休申請、通るのかなぁ………」 ということだった。 ユーノは、無限書庫の司書長だ。 かつてならともかく、今の無限書庫は時空管理局の情報面を支える一柱といっても過言ではない。 クレアが外に出てしまっても、若干検索速度は下がるもののクレアの本体に検索を依頼することは可能だし、一応ユーノ無しでも無限書庫は運営できるようになった。 とはいえ、仮にも一部署の責任者。 そうやすやすと休みが取れるわけがないだろう。 「………」 しかし。 仕事の休憩時間中、アルフと一緒に楽しそうに旅行のパンフレットを覗き込んできたクレアのことを考えると、休暇が取れない、では済まされない気がする。 少なくともアルフには拳骨で殴られるだろうし、クレアは泣くかもしれないし、司書たちからも何らかの制裁を受けそうだ。 「………いざっ!」 ユーノは一度息を深く吸って気合を入れると、そのまま総務課へと足を踏み入れる。 そこは。 「へ!? 有休取りたい!? あと一週間先まで予定つまってる身分で何言ってるの!?」 なんというか、戦場だった。 あちこちでひっきりなしに通信呼び出し音が鳴り響き、それに誰かが出るたびに怒号が飛び交う。 誰一人としてのんきにしていることなく、明らかに殺気立っているのがわかった。 思わず一歩引くユーノ。 今まで有休をまともに申請したことない彼は知る良しもないが、夏が近づくと総務課に限らず、事務関係をつかさどる部署は大体こういう感じの忙しさに見舞われる。 管理局を構成する人員の七割ほどは武装局員や執務官といった武官であり、それらをサポートする一般局員であり、残りの三割が総務課をはじめとする事務職である。 こういった事務職の皆さんは、普段は管理局が利用しているデバイス製造企業や、艦艇の整備会社、はたまた消耗品補充のための一般企業といった、他企業との書類関係の仕事を中心に処理しているのだが、そうした仕事の一つに「部隊、あるいは部署のスケジュール管理」というものがある。 管理局ほど巨大な組織ともなれば、いくつもの部署や部隊が存在し、それが一つ欠けたくらいで運営が滞ることはないが、まったく同じ時期にいっぺんに休まれれば経営が破綻する。 そういったことがないように、各部署や部隊のスケジュールを見て、有休その他の申請が通るように調整するのが仕事となるのだが………。 当然、夏のように旅行やレジャーが一般的な時期になれば、多くの局員たちが休暇の申請を始める。いわゆる夏休みだ。 普通の局員なら、割と何の問題もなく申請は通るのだが、高位の武官や部隊長クラスにもなれば部隊運営そのものに影響を及ぼすために容易に申請を通すわけにはいかない。 それでも俺は休みたい、と言うわがまま野郎は出るわけで。 そういう困ったチャンに対応するために、総務課その他は必死にスケジュールを調整するのである。 そんな総務課のもう一つの面にユーノがビビリまくっていると、叩きつけるように通信を切った女性局員がユーノの存在に気がつき、やたら気合の入ったまなざしをこちらに向けた。 「ヒッ!?」 「何!? 何の用!? 勤務部署と階級、それから名前と用件を言って! こっちゃ今忙しいんだから!」 用がないなら去れ、と無言で言う彼女に、ユーノは恐る恐る切り出した。 「あの、無限書庫勤務、無限書庫司書長ユーノ・スクライアです………」 「あっそー、で!?」 「有休の申請に、その………」 ユーノがそういった途端、シン………、と水を打ったように総務課が静まり返った。 ユーノがえ、とつぶやいて部屋の中を見回すと、さっきまで殺気すら放っていた女性が恐る恐るといった様子でこちらに尋ねてきた。 「………え? あの、ユーノ・スクライア、さんですよね………?」 「あ、はい」 何で確認しなおすのか、と首を傾げるユーノ。 と。 「偽者!」 「はい!?」 いきなりの偽者呼ばわりに振り向くと、三十絡みの渋いおじさんが泣きながらこちらを指差していた。 「偽者だ! そうに違いない!」 「いや、あの」 「俺が! 再三有休とってくれって! 毎年言ってたのに有休なんか全然とらなくて! こっちの苦労も知らないで「休んでる暇なんかありません」とかすまし顔で言ってくれちゃって! それで担当から外れた翌年に「有休が取りたい」!? どうして俺が担当してたときに言わないんだー!!」 「タケさん落ち着いて!」 「気持ちはわかるけど、デバイスはまずいって!」 周囲の局員に取り押さえられ、男泣きに泣くタケさん。 そういえば毎年年末くらいにあの人が連絡してきたな、とぼんやりユーノが考えていると、窓口の女性局員がコホンと咳払いをした。 「失礼いたしました、スクライア司書長。礼節を欠いていたことをお詫びいたします。それで、有休の申請は何日でしょうか?」 「あ、はい。二週間をお願いしたいのですが」 ユーノは泣き喚くタケさんとやらを視界の端に捕らえながら、頭の一部でこう考えていた。 ――あの人には悪いけど、とりあえず何の問題もなく有休はとれそうだなー―― そして。 「おおー!」 無事有休申請が下りたユーノは、手早く荷物をまとめ、列車のチケットを取り、一週間後にはミッドチルダ中央区のレールウェイ駅にやってきていた。 「主殿ー! これがレールウェイか?」 「うん、そうだよ」 十両編成のレールウェイを指差すクレアに、ユーノは笑ってうなずく。 双方の格好はユーノが半袖のポロシャツにいつものスラックス。そしてクレアがノースリーブのシャツに、キュロットと呼ばれる裾の広いハーフパンツである。 ちなみに、実のところ二人の格好はいつも無限書庫で取っている格好なので、特に新鮮な格好という訳ではなかったりする。 手荷物は大きなボストンバックが一つ、そしてユーノが背負い袋のようなナップザック、クレアが可愛いデザインのリュックサックである。 「早く! 早く乗ろう、主殿!」 「別にレールウェイは逃げたりしないよ」 テケテケ急いでレールウェイに向かってゆくクレアを見ながら苦笑するユーノ。 「元気な妹さんね」 すると、後ろから声をかけられた。 振り向いてみると、ユーノと同い年かひとつ下くらいの少女と四十代手前ほどの男性が後ろに立っていた。 「ええ。でもあの子は僕の妹ではなく、使い魔なんですよ」 「えっ、そうなの?」 ユーノがそういうと、驚いたような顔になる少女。 「どう見ても人間にしか見えないのに」 確かに、クレアは遠目から見れば人間の少女にしか見えない。 だが、近づいてよく見ると顔は良く出来た作り物だし、手首などはうっすらと間接部のラインが見えるのがわかるだろう。 そうでなくとも、クレアは一般的な意味の使い魔ではなく、広義的な意味での使い魔だ。勘違いする人がいてもしょうがあるまい。 「ハハハ。よく言われますよ」 「すると、あなたは魔導師なの?」 「ええ、一応。まあ、学徒の端くれですので腕はたいしたことありませんが」 謙遜でもなんでもなくそういうユーノ。 すると少女はユーノの顔を観察するようにじっと見つめた。 「? なにか?」 「………ううん。どこかで見たことがあると思ったから」 少女はため息をついて首を振ると、どこかいたずらっぽい表情になった。 「あなたの言う通り、気のせいだったみたいね。有名な魔導師なら、一目でわかるもの」 「あ、ひどい」 そうやって笑いあっていると、クレアがじれたようにユーノを呼んだ。 「あーるーじーどーのー!」 「あ。すいません、それでは僕はこれで」 「うん。引き止めちゃって、ごめんなさい」 少女は笑ってそういい、ユーノはクレアのもとへと駆け出した。 そのままクレアに引っ張られるユーノを見ながら、少女は後ろの男に声をかけた。 「―――それで? あれが誰か思い出せたの?」 「ああ。確か、無限書庫の司書長のはずだ」 男は周りをはばかるような低い声でボソボソとしゃべる。 「本当? 意外な大物が掛かったわね」 「ああ。だが、これが切り札になるかは微妙だな」 「そう? いくらなんでも無限書庫の司書長をそうやすやすと切り捨てたりはしないと思うけど?」 少女がそういうと、男は首を振った。 「むしろこの場合はあの男の有用性が証明されすぎてることを懸念すべきだ。最悪の場合、一個大隊を相手にしなければならない」 「それは………確かに無理ね。今日の戦力じゃ」 少女はそういって肩をすくめる。 男はごそごそと懐からトランシーバーを取り出し、回線を開いた。 「こちらαプロト。各員の状況知らせ」 『こちらα1。状況は良好』 『こちらα2。α1同様』 『こちらα3。問題はない』 続々と入ってくる通信に、男は一つうなずいた。 「各員、そのまま状況を維持。以降、作戦通りに動け」 『オーバー』 そういって通信を切り、少女の肩を叩いた。 「では、いくぞ」 「ええ。お仕事をしに、ね」 少女はそうつぶやくと、軽く腰のポーチを叩いて歩き出した。 「おおー!」 なんだか旅行を始めて驚いてばかりだなー、などと考えながらクレアの様子を見つめるユーノ。 クレアは今、初めて見る海を眺めながら感嘆のため息をついている最中である。 「主殿、主殿。あれが海か?」 「うん、そうだよ」 「青いなー。大きいなー」 などと当たり前のことをのたまうクレア。 今レールウェイが走っているのは、中央区を大きく離れた海岸線である。 ユーノたちが乗っているのはいわゆる特急で、とりあえずユーノはほぼ無目的に色々回ってみるつもりでこの長距離レールウェイの予約を取った。 クレアにとっては見るもの全てが初めてのものばかりだろうし、下手にプランを立てるよりはこの方が気楽だと思ったからだ。 まあ、ユーノに具体案を出せるほどの趣味のレパートリーがないとも言えるが。 「おかーさん、まだつかないのー?」 「まだまだよ。もう少し待ちなさい」 ユーノたちの隣り合ったほうの席では、母親らしい女性と小さな男の子が先ほどから同じ問答を繰り返している。 ユーノはそんな家族の様子を見ながら、小さく微笑んだ。 (そういえば、こういう風にゆっくりするのは本当に久しぶりだな) 思えば、無限書庫に勤めだして以来まともな休暇を取ったのは本当に初めてのように思う。 気がつけば仕事が山のように溜まっていたし、たまの休みは戦闘訓練に費やした。 本当の意味での休暇は、今まで取ったことがなかった。 (あれ? ひょっとして僕ってかなり変なのかな?) ふと、そんな埒もないことを考えてみる。 九歳から無限書庫に勤務を開始し、その後休暇などろくに取らず仕事に従事し、暇があれば戦闘訓練。 普通の人間、いやさ魔導師ですらそんな人生は歩むまい。 なのはたちは普通の学生との兼業だったし、あのクロノですらエイミィと色々やっていたようだし。 「あの、すいません。うるさかったですか?」 自身の過去を振り返り、そのあまりの灰色っぷりにガッツリヘコんでいると、隣の席のお母さんが何を勘違いしたのか謝罪をしてきた。 「ああ、いえいえ、お気になさらず。あまりにも休暇を取ってなかったもので、イマイチ疲れが抜けないんですよ」 慌てて弁解すると、ほっとしたようにお母さんは顔を緩めた。 「そうなんですか。まだ、お若いように見えますけれど?」 「主殿は無限書庫の司書長なのだ」 クレアが海を見たまま機嫌がよさそうにそう言った。 「まあ、無限書庫………?」 お母さんは驚いたようにつぶやくが、明らかにどういう仕事なのかは理解していない顔だ。 「管理局の一部署ですよ」 そんなお母さんの様子に、ユーノは苦笑しながら説明をしてやる。 「まあ、管理局の!? お若いのに立派なのねー」 「いえいえ」 お母さんが感心したように言うと、男の子がユーノのほうをじっと見つめた。 「おにーちゃん偉いの?」 「んー、どうだろう」 そういって首を傾げると、男の子はすぐに興味を失ったようだった。 「ふーん」 「これっ! すいません」 お母さんが男の子のそんな様子を見て、申し訳なさそうにユーノに謝った。 「いえいえ」 ユーノがそういって苦笑する。 その後しばらく、ユーノはお母さんと世間話をした。 (ああ………。こういう風に普通の人と話をするなんて、何年ぶりかなぁ………?) ユーノが普通の幸せを密かに噛み締めていると、不意に前方車両からの扉ががらりと開き、どやどやと人が入ってきた。 「?」 そちらのほうを向くと、どの乗客も我先にと後部車両へと走ってゆく。 そして。 「さぁて、ご乗車のみなさまぁ」 一番最後に入ってきた二人組の男が、手にしたデバイスを見せ付けるようににやりと笑った。 「ヒジョーに申し訳ありませんが、この車両は我々《レオンハルト》が占領いたしました。どうか、ご静粛にお願いいたしまぁす」 どうやら今回の旅行、一筋縄にはいきそうにはなかった。 「隊長! 犯人たちから犯行声明が届きました!」 時空管理局陸上部隊、陸士206部隊。 ミッドチルダ中央から西部にかけての境界線を行動範囲とするこの部隊は、にわかに色めきづいていた。 何しろ長距離特急レールウェイが武装テロリスト《レオンハルト》に占領されたとの通報が入ったからだ。 「犯人側の要求は?」 たまたまこの部隊の航空戦力の教導に当たっていた戦技教導官、高町なのはが厳しい表情で隊長のそばにやってきた。 「………ありきたりといえば、ありきたりだな。要求は三つ。まずは投獄中の次元犯罪者の解放。次に指定場所への身代金。そして彼らの行動の黙認。ようは見逃せってことだろう」 隊長は苦々しげにはき捨てると、なのはに向き直った。 「さらに、要求を呑まない場合、乗客の命はないと脅してきた」 「具体的には?」 「後部三車両に人質をまとめ、最悪の場合持ち込んだ爆弾を爆破させるといっている」 「爆弾、ですか………」 爆弾、の一言にさすがになのはは眉根を寄せた。 魔法動力が発達しているこのミッドチルダでは、実のところ火薬に類する薬品は非常に珍しいといえた。 科学も同時に発展してはいるが、それは魔法と平行してのこと。質量兵器が廃れるのと同時に、そういった火薬の類も消滅していったはずなのだが………。 だが今考えるべきは、犯人達がいかにして質量兵器を持ち込んだかではなく、いかにして事件を解決するかだ。 「高町教導官。今回の事件、我々だけで解決できるだろうか?」 「………正直、難しいでしょう。部隊を派遣しようにも、相手は長距離移動用の特急レールウェイ。すぐに接近に気づかれてしまいます」 なのはは悔しそうに首を振った。 この部隊に航空戦力がないわけではないが、もしそういった部隊が接近しようと試みれば、犯人たちは即座に車両爆破をちらつかせるだろう。 かといって、このまま彼らの要求を呑むのも無しだ。 テロ対策の基本は、相手の要求を呑まないことなのだから。 「こちらが乗客リストになります」 「ありがとう」 なのはが乗客リストに目を通している間に、隊長はブツブツと作戦を練り始める。 「犯人が要求した回答期限まであと三時間と少し………。レールウェイの行き先に部隊を先行させられるか?」 「残念ながら、それだけの速度が出せる輸送機はこの部隊にはありません」 「なら、本局の航空部隊に応援を頼むだけだ。今からだと、出動にどのくらい掛かる?」 「本局からの返答は、最低でも二時間は掛かると」 「出動から現場急行まで考えても、三時間は見積もったほうがいいか。クソッ、ほとんどギリギリじゃないか」 隊長は毒づくようにつぶやくが、それでも部下に指示を出す。 「出来うる限り最速で出動を急がせてくれ」 「了解しました」 「ふむ。………時に、高町教導官」 振り向かないまま隊長は後ろにいるはずのなのはに声をかける。 「確かに、時間的には厳しい。そして、君の腕だって重々承知だ。だが、我々だって無能ではない。君の手を煩わせるまでもなく、この事件を解決するつもりだ。だから………」 航空部隊に先んじて先行しないように、と言おうと振り返り。 肝心のなのはが当の昔にいないことにようやく気がついた。 「………アレ?」 「ああ、高町教導官でしたら」 先ほどなのはに乗客リストを手渡した部下が、のんきに転送ポートを指差した。 「リストに載ってる名前を見終わった後、何か人の名前を叫びながらすごい勢いで現場に向かいました」 「高町ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!???」 隊長のむなしい悲鳴が木霊する中、部下の一人が乗客リストの最後に記してある名前に気がついた。 「ユーノ・スクライア、クレア・バイブル………?」 確かあの地獄部署、無限書庫の司書長の名前じゃなかったろうか? |