無限書庫、副司書長の朝は早い。 それは例え休日であったとしても変わらない。 日頃からの体調管理には、生活のリズムを崩さないことが重要である。 下手に休日だからといって、お昼頃まで惰眠をむさぼったりしてしまうと体がその時間まで睡眠を取ることを覚えてしまう。そうなれば、日中の睡眠欲が上昇、例え大事な講義があったとしてもお昼を廻った辺りで睡魔に負けてしまう可能性が高くなってしまう。 閑話休題. 基本的に副司書長は朝五時に起きる。就寝時間は夜の十時前後。妥当な睡眠時間だといえよう。 起きてすぐに体を動かすような真似はしない。起床一時間前後はその日の準備など行って体をほぐすことから始める。 そして朝六時頃、朝食の準備を行っていると。 「おはようおっさん……相変わらずはえぇな……」 「うむ。おはようアクス」 同居人であり、職場の同僚でもある年少の無限書庫雑用係、アクス・アンノーンが起きだしてきた。 シャツにズボンという簡素な出で立ちだが、彼の姿を見たものは彼を決して忘れまい。何しろムシロか何かを背負っているんじゃないかというほどの長髪&剛毛なのだから。防寒具としても役に立ちそうなほどである。くすんだ様なアッシュブロンド色も、防寒具っぽさを引き立たせている。 「つか、おっさんが早いせいで俺まで早く起きる癖付いちまった……。休みくらい、昼まで寝ててぇよ」 「どの道、朝の鍛錬の最低三十分前には起こすのだ。早起きは三文の徳ともいう。悪いことではあるまい」 「それって地球のことわざだよな? 三文って確か日本円で六円ちょっとくらいの価値しかねぇんじゃなかったか? だったら寝てた方がましじゃね?」 「……………………」 アクスのあけすけない物言いに閉口するも、滞りなく朝食の準備は完了。テーブルにつき、もそもそと食事を始める。 本日のメニューはトーストにスクランブルエッグにサラダ。飲み物は牛乳である。 「んぐんぐ……そういやおっさん、今日はどこ行くんだ?」 「近くの公園でよかろう。時間が早すぎてトレーニングジムの類も開いてはおるまい」 「近くの公園で戦闘訓練も迷惑じゃねぇの?」 「いや、意外とそうでもないようだ。先日覗きに行ってみたが、デバイスをもって訓練しているものもちらほらと見かけた。ストライクアーツの訓練を行う者もいたから、あそこでは割と普遍的なことなのだろう」 「なんでそんな物騒なんだよ……?」 「最近の情勢からすれば、そんなものなのかもしれん」 その後、軽く新聞に目を通し、アクスの訓練のための準備を整える。 といっても、汚れてもいい恰好をしてアクスの獲物を持つだけではあるのだが。 「着替えたか?」 「見たらわかんだろ」 「では行くか」 「んー」 朝七時、本局勤めの局員の居住スペースを出て、トランスポーターを経由して目的の公園に向かう。 余談ではあるが、副司書長は元々独身寮に住んでいたが、アクスと暮らすにあたっていわゆる家族寮へと引っ越しを行った。子どもとはいえ、人二人で暮らせるほど独身寮は広くはない。それに家族寮の方がトランスポーターには近いのだ。おそらく、家族でどこかに旅行へ行くことなどを考慮しての設計だろうが、こうした形で移動する副司書長にとってもこれは魅力的な点であった。 「あれ? 副司書長さん?」 「む、ランスター?」 そして目的地の公園に入った副司書長たちは、見知った顔に出会うこととなった。 「お前たち、何故ここに?」 「機動六課に距離的に近くて、そこそこの広さがあってなおかつ魔法の訓練をしていても騒ぎになりにくいですから」 「訓練なら機動六課でもできるのではないか?」 「今日はオフでして、六課で訓練してるとヴィータ副隊長に怒られるんですよ」 自主トレくらい好きにさせろ、と憤慨するティアナ。 まあ、体調管理も立派な仕事の一つだ。休息を与えるためにオフにしている日に、六課の訓練場で自主トレなどされてはオフを出す意味もないだろう。 他には何故か頭をたんこぶだらけにしたスバル、それに治癒魔法をかけてやっているキャロと、副司書長の後ろについて巨大な斧を担いでるアクスをいわく言い難い表情で見ているエリオがいた。 「おっさんの知り合いか?」 「知りあいも何も、あんた前に一回会ってるでしょうに」 「そうか?」 怪訝そうな顔をするアクスを見て、顔をしかめるティアナ。 確かにあったのは一回こっきりで、しかも戦闘訓練だったがそれでも印象に残らないとはどういうことか。 「ああ、でもそっちの青髪のねぇちゃんは覚えてるぞ。確か俺が後ろ頭ブン殴ったよな」 「……どういう覚え方よ」 「すまんな。こ奴、基本的に己の興味ないことは記憶に残らん性質のようでな」 「それにしたって酷いでしょう……あとバカスバルあんた、こんな年下にあっさり一撃貰ってんじゃないわよ」 「ギャヒンっ!?」 あまりといえばあまりなアクスのセリフに、スバルのたんこぶを一つ増やしつつ呆れるティアナ。 スバルはさらに増えたたんこぶを抑えつつ、スバルは涙目でティアナに噛みついた。 「酷いよティア!? あの時はいきなり後ろからガツンて、一発でKOされたんだよ!? 構える隙もなく、なおかつ死角からなんて卑怯者のやることだよ!」 「隙を見せる方が悪く、なおかつ正々堂々が当たり前なんて思ってるあんたが悪い」 「外道!? 外道のセリフだよティア!?」 「あらそう? なら外道らしく、人間椅子にでも座りましょうか」 「ぎゃひー!? でもこの言い知れない快感は一体!?」 「……あの」 「む?」 ティアナに座られたスバルが奇妙な歓声を上げていると、エリオが奇妙な表情で副司書長に近づいていった。 なんというか、お気に入りのおもちゃを奪われた子どもの顔とでも言えばいいのだろうか。 エリオはアクスと副司書長の顔を交互に見ながら、疑問を口にした。 「今日はこちらに何をしに……?」 「それは、」 「戦闘訓練だよ。見たらわかんだろ?」 エリオの疑問に副司書長が応えるより先に、アクス自身が担いでいる斧を掲げ上げながら答える。 そんな彼に、エリオは眉尻を上げながらきつい口調で言い返す。 「君に聞いてない。僕はこの人に聞いてるんだ」 「どっちが答えたって同じじゃねぇか。男二人が弁当もなしにピクニックなんて想像できるのかよ」 「わからないさ。君みたいな子どもを連れて、こういうところに来るのも副司書長は好きだって、ユーノさんは言っていた」 「だからなんだ? 俺がそういうの好きそうに見えんのか?」 「人なんて見た目じゃわからないからね。それともピクニックが恥ずかしいのかい?」 「…………」 「…………」 何やら険悪になる雰囲気。エリオとアクス、両者の間に何か小さな火花のようなものが見え隠れし始めた。たぶん幻覚だろうが。 そんな両者の様子に、ティアナはやれやれとため息をつき、キャロはおろおろと両者を見比べ、副司書長は静かに見守り、スバルは言い知れない興奮に息を荒げ始めていた。 「ランスター。そろそろナカジマが別の場所へ旅立ちそうだが」 「あら、それは困ります」 「あぁん、ティア、降りちゃダメ」 「ギャラク○ィカファントムっ!!」 「車谷!?」 見事なアッパーカットで宙を舞うスバル。 そしてそんなことは我関せずと火花を散らし合うエリオとアクス。 一瞬即発の空気が、やがて熱を帯びて今にも破裂しそうな具合へと発展してゆく。 擬音にしたらゴゴゴゴゴゴッ、といったところか。今にも拳が飛び出してもおかしくはない。 見た目十歳程度の少年たちが放つ言い知れない気配を感じてか、さっきまでは周りにいたはずの人間が、いつの間にかいなくなっている。野生動物の気配もない。むしろ飛んでいる鳥はこちらに来る寸前にUターンして向こうへ飛んでいってしまう。 「……文句があんなら相手になるぞ?」 「……いいよ。言いたいことは山ほどある……僕なりの方法でいかせてもらう……」 「あんたたちー。やるなら他の人の迷惑にならないように基本魔法抜きでやんなさいよー」 「いい機会だ、アクス。存分に腕を振るうがいい」 「「………………」」 年長者二人の言葉に返事を返すことはなく、二人は十分な広さのある場所まで移動して適度な距離を保つ。 エリオはストラーダを、アクスは超双斧をそれぞれ構え、いつでも飛びだせるように体に力を込めた。 遠巻きに二人を眺めるティアナが、隣に立つ副司書長に声をかけた。 よく考えなくてもティアナは彼のことを知らない。もし副司書長……ひいては司書長であるユーノにゆかりがあるのであれば、何らかの参考になるかもしれない。 「……で、実際のところここにはなんで?」 「アクス……奴のいった通り戦闘訓練だ。お前たちがここにいて、なおかつエリオが戦闘訓練の相手を買って出てくれるとは思わなかったが」 「あれは善意とは言い難いんじゃないですか?」 「だろうな。だが、それでも希少なことに変わりはない。アクスの能力についてこれる、同じ背格好の人間というものは」 「……あのアクスとかいうの、そんなに強いんですか?」 「強いというよりは危険というべきか」 「危険?」 「ああ。無自覚に力を振るわれれば、人が死ぬ」 「だから副司書長が?」 「そういうことだ」 ……人死にを出す可能性すらある少年が、なぜ無限書庫にいるのか、などとは考えるまい。それを言い出したら騎士然とした副司書長が無限書庫で副司書長なんていう重役についていることの方がおかしいだろう。 問題は、アクスという少年の能力だ。 「……どんな力をもってるんですか?」 「一言でいえば、純粋なパワーか。見ていればわかる」 その言葉がきっかけとなったわけではあるまいが、エリオが予備動作もなしにアクスへと飛びかかった。 構えたストラーダは上段、突き下ろす形になる。エリオの位置はアクスの斜め上。当たれば大けがでは済むまい。 「はぁぁぁぁぁ!!」 渾身の一突きが、アクスへと迫る。 だが、アクスは一切慌てるどころか座して動かず――。 「―――どらぁっ!」 エリオの一撃が額に当たる寸前、斧を振るう。 それも、桁外れの速度で。 「な……」 遠くから見ていたティアナが息をのむ。 斧の描く軌跡が、まるで飴を溶かしたような形に見えるほどの速度。とてもではないが、ただの子どもが出せるスピードではない。 「ごっ!?」 槍の一突きよりも早く、斧の一撃がエリオのわき腹に突き刺さった。 横薙ぎの一撃はそのままエリオの体を真横へと吹き飛ばす。 力強く吹き飛ばされたエリオは土煙を上げながら、滑っていく。 「―――今ので終わりか? あっけねぇな」 「くっ! まだだ!」 アクスの言葉に呼応するようにエリオが飛びあがり、再び一撃を見舞わんと今度は低い体勢で突き込んでいく。 続くアクスの構えは上段。地を駆けるエリオの背目掛けて、 「おらぁ!」 再びアーチを描くように斧を振りおろす。 地面に叩きつけられた斧刃は、突き刺さることなく地面を破壊する……が。 「しっ!」 本来割れるべきであったエリオの背は割れることなく、その一撃がアクスのわき腹に決まる。 「ぐ……!?」 刺さった切っ先には魔力防護が施されているため、アクスの体に本当に刺さることはない。 だが、それでも鋭いストラーダの切っ先は、アクスが着ていたシャツを切れ端に変え、持っていく。 全身に走る衝撃と、一瞬乱れる呼吸を無視し、アクスは即座に体をエリオの方に向きなおした。 「ほぅ……」 エリオの一撃を見た副司書長が、感嘆の声を漏らす。 横薙ぎに比べ、斧自身の重量が加わる振り下ろしは重力加速も味方につけるだけあり、速度も破壊力も高い。 だが、エリオは斧が当たる直前に斬撃の軌道上から回避して見せた。 しかもほとんど速度を殺すことなく、それどころかきちんとアクスのわき腹に命中させるだけの動きをしてみせた。 いかに上段の攻撃軌道が見切りやすく、なおかつエリオの動きが早いからといって、攻撃が直撃する寸前にほんのわずかだけ避けるなど、たやすいことではあるまい。特に全力でまっすぐに走っているとなるとなおさらだ。 「鍛錬もきちんと積んでいるようだな。特にあの速度を変えずに進行方向を変えるステップは見事だ」 「なんか漫画読んでて知った技術らしいですけどね……デビルなんとかゴーストとか言う」 「ほう、漫画とな?」 「ええ。意外と馬鹿に出来ないんですよね、地球産の漫画って」 エリオが突撃し、アクスがそれを待ち受ける形で定着し始めた二人の戦いに若干飽きがきたのか、ティアナと副司書長が雑談を始める。 実際のところ、二人の技量はほぼ拮抗しているといってよかった。攻め入るエリオに待ち受けるアクス。二人の特性はそれぞれスピードとパワー。互いに妥当な戦術を取り、なおかつ互いに完全な有効打は入っていない。少なくとも、最初にお互いに入れた一撃以外はロクに入っていなかった。 戦局を動かしたければ、何らかの形で相手の意表を突く必要があるだろう。二人がその発想に至るかどうかは別だが。 「でもなんなんですあのアクスとかいうの? デバイスの装甲素材が基本的に軽量型の特殊合金でできてるからって、あのスピードはないですよ。実際スバルでも出せるかどうか」 「俺にも無理だな。だが、アクスにはそれを可能にする技能がある」 「技能? それって、筋力強化の魔法とかですか?」 「いや。そもそも技能ではあるが、技術ではない。……奴が保有している技能は、魔力性質変換“運動エネルギー”という」 「運動エネルギー……? 聞いたことない技能ですね」 「ああ。魔力性質変換は、基本種である炎・雷・氷の三種以外にも存在する。といっても、最も希少とされる氷よりさらに数が少なく、新暦に入ってからはほとんど発見例も存在しない」 「発見例も存在しないって……希少なんてレベルじゃないですよ、それ」 「ああ。司書長も、名称しか知らぬという性質変換も多々存在する」 「あの司書長で名前しか知らないって……」 世の中、まだまだ広いものだ。無限書庫の司書長をして、名称のみしか知らぬことがらが存在するとは。 「……それで、運動エネルギーって、具体的にどんな効果があるんですか?」 「うむ……ではランスター。運動エネルギーとは何だと思う?」 「え? それは……物が落ちる時とかに発生する、落下エネルギーとかですか?」 「うむ。そして人間が動けば必ず生まれるエネルギーでもある。アクスの保有する性質変換は、ランスターの予想通り筋力強化に近い。敵を殴る、地面を蹴る、武器を振り回す……そういった動作のエネルギーを増幅することで、攻撃の際の速度や破壊力を上昇するといったものだ」 「なんですかそれ。魔法なしで筋力増加、しかも魔力性質変換だから魔力があれば上限なしですよね? どんだけ便利なのかと」 「そうでもない。あくまで性質変換で増幅できるのは運動エネルギーのみ。魔法による身体強化であれば、肉体そのものの強度も上がるが、アクスの技能のみでは自分の体すら破壊しかねない」 「……やっぱ、万能な技術なんてないんですね」 「うむ。だが、アクスが強化できるエネルギーは自分の肉体のみならず、奴が触れている物体にも適用される。先ほどから高速で動く斧も、その性質を利用している」 「……前言撤回、やっぱり特殊技能ってずるいです」 「こればかりはな」 拗ねたようなティアナの言葉に苦笑する副司書長。 こうした特殊な才能というものは、非常に得難く、そして他人の嫉妬を集めやすいものだ。 特に、アクスの技能は極めて単純で効果もわかりやすい。その応用範囲も多岐に渡るだろう。 ティアナが利用できれば、おそらくSランク魔導師も夢ではあるまい。 「……まあ、手に入らないものを妬んでもしょうがない……手に入りませんよね?」 「残念ながらな。司書長とともに調べてみたが、アクス自身のリンカーコア構造に密接にかかわっている技能らしくな。アクスのリンカーコアを元にユニゾンデバイスでも作れれば再現も可能だろうが」 「そうですよねぇ……。っと……」 雑談を遮るような異音が響く。 どうやら、戦いに進展があったようだ。 ティアナと副司書長がそちらに目を向けると、アクスの剛斧がエリオの体を捕えているところであった。 「がはっ……!」 吹き飛ぶエリオの体。冷然とそれを見据えるアクス。 エリオは痛む体を無理やり起こして、再びアクスに飛びかかるが、再びアクスの斧がエリオの体を捕えた。 「……ここまでだな」 「みたいですね……。というかエリオもよく持ったわね」 ティアナは勢いよく吹き飛んでいるエリオの体を見ながらつぶやく。 攻めるエリオと待つアクス。どちらの体力が早く尽きるのか? ……いうまでもなく終始攻め続けるエリオである。 今回の戦いの胆は、攻め続けるエリオにあった。待ち続けるアクスに対し、致命的な一撃を与えられればエリオの勝ち。凌ぎ続ければアクスの勝ち。極めて単純な構図であるが、今回は攻めきることのできなかったエリオの負けだ。 「やれやれ……。フェイトさんにはなんて言い訳するかな」 なるべくなら怪我などさせないように、と言われていたのだ。だが、あのアクスの相手をして一切の傷なしなど無理だろう。確実に青痣はできているだろうし、最悪骨にひびくらい入っているかもしれない。 何しろ、戦いの行方をハラハラしながら見ていたキャロの顔色は真っ青になり、もはや声も出せなくなるような、一方的な戦況になってきているのだ。 副司書長の方を見ると、特に動く様子はなかった。エリオかアクス、どちらかが戦闘をやめるまでは介入する気はなさそうだ。 「………」 「ティ、ティアナさん! もう止めてください! このままじゃ、エリオ君……!」 ついにキャロが泣きついてきた。パートナーの悲惨な様子に耐えられなくなってきたのだろう。 エリオが無理な特攻をし始めてもう五、六発はアクスの一撃を受けている。 多少の手加減はあるだろうが、それにしても受け過ぎだ。エリオの体もそろそろ限界だろう。 「そうねぇ……副司書長?」 「好きにするといい」 エリオの状況と、キャロの心情を考え、とりあえず副司書長にお伺いを立ててみるとOKが出た。 ティアナはクロスミラージュを取りだし、とりあえずどうやって両者を止めるか考えてみる。 「さしあたって……エリオに魔力弾でも撃ちこむ方が早いかしら」 クロスミラージュの照準をエリオに合わせる。 キャロの顔色が青を超えて紫になるが、知ったこっちゃない。 魔力を収束させ、引き金を引き絞った―――。 |